No.613 夕暮れ迫る猿町電停(白金猿町)
起点の五反田駅前を発車した4系統は、だら~と長い坂を上がって最初の停留所「白金猿町」に到着します...
高輪地区の今を振り返り、昔を知るDIGITAL HISTORY of TAKANAWA
起点の五反田駅前を発車した4系統は、だら~と長い坂を上がって最初の停留所「白金猿町」に到着します...
左の「やぶそば」は今でも同じ建物で営業しています。1967年12月で第一京浜、国道15号線の都電...
オリンピックのために道路が拡張された桜田通り(国道1号線)。当時は滑走路みたいにただ広く感じまし...
ここは他と違って、最後まで線路の両側に敷石が敷いてあり存在感がありました。起点が泉岳寺に変更にな...
泉岳寺前停留所横に現在でも営業している「そば屋」さんがあります。現在も建物は同じで趣があります。...
高輪消防署近くの骨とう品屋さん。これは荷物を運ぶ、昔のしょいこでしょうか。
交差点の角にあった鮮魚店が寿司屋となり、現在は和食店となって、伊皿子交差点の雰囲気が変わっていっ...
地下鉄が完成するまで、桜田通りはいつも工事中のイメージでした。道路標識は時代を変えて、今後どのよ...
ずっと見てくれてるんだと思いました。
しいの木から魚籃坂下に向かう途中で撮影しました。
手前の樹木椅子に座れるのは、年月を重ねた人だけです。
旧熊本藩細川家下屋敷に植えられていたしいの木に落雷が落ちたにも関わらず、現在も活き活きと当時のま...
初めて会った参加者(写真愛好者)と会話を楽しみながらのまち歩き。
5月の太陽を浴びて、燦然と輝く巨樹。
曾祖父と祖父は明治の末に北海道・喜茂別町へ山梨から開拓へ行きました。その後、色々なことがあって、...
S600は、当時としては立派な車でしたが、現在の軽自動車や大型オートバイよりも、エンジンは小さく...
背後に写っているものは、ほとんどが、現在では見ることができないようです。
当時、在校生に下敷きとして配られました。
当時、在校生に下敷きと共に配られました写真だと思われます。
当時、在校生に下敷きと共に配られました写真だと思われます。
昭和17年に軍人の訓練があったときのもの。記念写真の後ろに消防署の、今もある塔楼が写っています。...
私の家が昔やっていた書店の番頭さんが写っています。八ツ山橋付近は、昭和29年の特撮怪獣映画で、架...
立っている人々が、この日を楽しみにやって来て、町内の役員の方々が大声をあげて「鬼は外、福は内」と...
魚籃坂商店街にあったひらまや呉服店(自宅)です。昭和39年にお嫁にいきました。特別なお客様として...